シューマンと出会い、自作品の楽譜出版を果たしたブラームスは、それをハンブルクの家族に報告した後、1854年の年明け早々ハノーファーに住まいを求めました。
《超簡略版》ハノーファーの地理・歴史と見どころ
18世紀にはイギリス国王も兼ねたハノーファー王家ゆかりの町。優美な王宮庭園と見本市で有名です。
- ニーダーザクセン州の州都
- 人口50万超
アクセス
ICE特急で、
ベルリンから東へ約1時間40分
ハンブルクから南へ約1時間15分
見どころ
14世紀創建・マルクト教会
オペラハウス
300年の歴史・ヘレンハウゼン王宮庭園
ヴィルヘルム・ブッシュ博物館
ライネ城
歴史博物館
市庁舎
ニーダーザクセン州立博物館
参考サイト
Visit Hannoever
ドイツ語版:https://www.visit-hannover.com/
日本語版:https://www.visit-hannover.com/jp
HANNOVER.DE:https://www.hannover.de/
1854年、ブラームスお引越し
ブラームスは1853年9月にシューマンと出会い、11年には自作品の楽譜出版を果たしました。ライプツィヒでの成果をハンブルクの家族に報告した後、年明け早々にハノーファーに住まいを求めます。
大好きなヨアヒム兄ちゃんのご近所で、ブラームスはヨアヒムやグリムといったお友達たちと、友情あふれる青年期のひと時を過ごしたのでした。
1854年5月、ブラームスは21歳になりました。
他の音楽家との交流も
ブラームスはハノーファーで、ハンス・フォン・ビューローと偶然出会いました。
この頃のビューローさんは、新ドイツ派の代表的な指揮者として活動していて、ハノーファーの演奏会でたまたま出会ったものの、ブラームスにとっては縁遠い人でした。
シューマン夫妻もハノーファーにやってきて、シューマン指揮でオラトリオ《楽園とペリ》を上演したりしています。
この時の演奏会では、ヨアヒムがシューマンの《ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲》を独奏したり、シューマンの交響曲第4番が演奏されたり、想像するだけでも鼻血の出そうなプログラムです。
ピアノ三重奏曲(作品8)の作曲
スケッチが始まったとされているのは、1853年の夏から秋にかけてのメーレム&デュッセルドルフ滞在時。
1854年1月に仕上げられ、3月には親しい友人に紹介されたそうです。
ハノーファーのブラームス通り
ブラームスのひいおじいさんペーター・ブラームスがハノーファー出身です。
ハノーファーには「ブラームス通り(BrahmsStraße)」があります。ブラームスゆかりの通りかもしれませんが、確証は得られていません。
ブラームス通りのすぐ近く、南側にはシューマン通りもあります。
このブラームスはあのブラームスのことなのか、シューマンはあのシューマンのことか・・ハノーファーに詳しい人にそのうち尋ねたいと思います。