ブラームスの生まれ故郷・ハンブルク|ブラームスをたどる旅

ハンブルクは、ドイツ最大の港湾都市。
ドイツの国土の中ではかなり北のほうにあります。

この記事では、ハンブルクの基本情報の他、ブラームスが関係するハンブルクでの出来事を記します。

目次

《超簡略版》ハンブルクの地理と歴史

エルベ川の河口から約100km遡ったところにある河川港で、日本の港町とは趣は異なります。

12世紀頃から交易の中心地として発展。
14世紀にはハンザ同盟の有力都市として発展しました。

第二次世界大中に破壊され、古い町並みはほとんど残っていません。ブラームスの生家もこの時焼けてしまいました。残念。

戦後、国際港湾都市として復興を遂げ、再び活気のある魅力的な街になりました。日曜朝の港の市場をはじめ、音楽に関係なく訪れても十分楽しめる場所です。

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ハンブルクへのアクセス

市の北側にあるハンブルク空港 Hamburg Airpotから市内へは、Sバーン(近郊電車)で行けます。

・使う電車:SバーンのS1
・ほぼ10分間隔で運行
・所要時間:空港隣接の駅から中央駅までは約25分
・運賃 2.8ユーロ
・タクシー運賃目安:20~25ユーロ程度

中央駅から空港へ向かう場合は、途中で車両が切り離されるので、乗車の際に要注意。

*以上は私がハンブルクに行った2012年時点の情報に基づきます。

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ブラームスが生まれ育ったところ

ブラームスは、ハンブルクで生まれ育ちました。

しかし後年、ハンブルクの音楽界とはあまり良い関係を持てない時期があり、ブラームスはあまりハンブルクに近寄らなくなってしまいます。

が、ハンブルクではブラームスの音楽が生まれる上で重要な土地です。

シューマン夫妻とはすれ違い

ハンブルクにはシューマン作品の理解者や共鳴者が多くいたため、シューマン夫妻は度々ハンブルクで演奏会を開催していました。

1850年3月にも、シューマン夫妻は演奏会のためハンブルクを訪れていました。

このとき、ブラームスの友人ルイーゼ・ヤーファはシューマンを訪問するようにブラームスに強く勧め、ブラームスはそれまでに作曲した作品をシューマンに送って批評を求めますが、シューマンは封を切ることもなくブラームスに送り返してしまいます。

この時ブラームスは17歳くらい。
ブラームス少年の心は傷ついてしまったかも?

シューマン側の事情としては、この頃オペラ「ゲノフェーファ」のライプティヒ上演がうまくいかずシューマンは疲弊していて、封を切るゆとりがなかったと言われています。

この一件のあった頃から、ブラームスの個性的な作品が作られるようになっていきました。

スケルツォ、ピアノ・ソナタ第一番、ピアノ・ソナタ第二番、ヴァイオリン・ソナタ イ短調など。

ハンガリー出身のヴァイオリニスト、レメーニとの出会い

1849年、レメーニ(エードゥアルト・ホフマン)はオーストリア支配に対抗するハンガリー蜂起に加わりましたが、蜂起はすぐに鎮圧されて、ハンブルクに避難します。

彼の情熱的な演奏や異国的な表現はハンブルクでも好評でしたが、イギリスでヴィクトリア女王の独奏ヴァイオリニストに任命されたり、パリでも大成功、1886年には日本にも来て、長崎、神戸、横浜、さらには宮中でも演奏するという活躍ぶり。

19世紀を代表する、世界的な演奏家でした。

ブラームスも彼に魅せられたそうで、1853年4月から5月までのレメーニの演奏旅行に同行。

ヴィンゼン、ツェレ、リューネブルクを周りました。

ブラームスが少年の頃度々訪れたヴィンゼン⇒

ヴィンゼンではブラームスの知り合いたちが熱狂的に歓迎してくれて、リューネブルクではヴィンゼンで知り合ったブルーメが演奏会の準備を整えてくれるなど、演奏旅行は大成功。

この演奏旅行中にレメーニはハンガリーの旋律をブラームスの前で弾いてみせ、ブラームスはそれを楽譜に書き留めました。これはブラームスが《ハンガリー舞曲》を手掛ける契機となります。

でもレメーニは感情の起伏が多く、ブラームスにとってはちょっと苦手な人だったかも?

ハンガリーのヴァイオリニスト ヨーゼフ・ヨアヒムとの出会い

ヨアヒムは、ブラームスより2歳年長のお兄さん。

ブラームスの作品に対して深い理解を寄せ、助言を行い、私生活でも交流し、共通の友人も多く持つなど、ブラームスを語る上では欠かせない人物です。

1848年3月、ヴァイオリニストとして既に名声を博していたヨーゼフ・ヨアヒムがハンブルクのフィルハーモニー協会の演奏会で、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏しました。

この時、ブラームスは初めてヨアヒムの存在を知ったとされています。

ヨアヒムはベートーヴェンの名作に芸術的な息吹を吹き込んだ演奏家。ブラームスもその演奏、ベートーヴェン観に大きな感銘を受けたと考えられています。

ブラームスがヨアヒムを訪問するのは、もう少し後の1853年4月。レメーニが仲介します。

ブラームスはヨアヒムの前でスケルツォやピアノ・ソナタ第一番を演奏、ヨアヒムはブラームスの作品と演奏に感銘を受け、ブラームスもヨアヒムの音楽を高く評価しました。ブラームスは後年、「偉大なヨアヒムを称える賛歌」を作曲しています。

ヨアヒムはブラームスに、ハノーファー国王ゲオルク五世の催す演奏会で演奏の機会を提供するなど、ブラームスに明るい道筋を示します。

また、ブラームスは作曲するたびにヨアヒムに意見と批評を求め、彼の助言を得て、成長していくのでした。

ハンブルクに泊まるなら

ハンブルクは大都市。
ホテルはたくさんあります。

でも私が行ったときはお手頃価格の宿の空きがあまりなくて、一人で一泊一万円ほどもするところに泊まらざるを得ませんでした。

朝ベルリンを出て、ハンブルクに着いた時に駅構内のインフォメーションに行って宿を探してもらったのですが、ホテルの予約サイトで前もって予約しておく方がいいと思いました。

また、ブラームスの関連でハンブルク市内を周るなら、市内の中心部に近いところで宿をとるのがおすすめです。


参考

ブラームスについての参考文献、ウェブサイトはこちら⇒

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